「ウェイ」という言葉の語源について、君は知っているか
こんにちは、HaLuKaです。
さて、ここ五年くらいで爆発的に市民権を得てきた言葉の一つとして「ウェイ」があります。
意味はいくつかあり、辞書っぽく書くならば
ウェイ
①[名・形動]俗に、服装が派手で明るく、常に調子づいていること。また、そのさま。 「-になる」 「-の先輩」 転じて、掛け声にも用いられる。 「-」
[派生]ウェイ系[名]
となります。
堅苦しい言い方をしなければ、クラブとかナイトプールとかに行ったり、極端に髪を明るくしてみたり、そういう人達の事を今はウェイだとか、ウェイ系だとか呼びます。イマドキな人、というよりウェイ系と言ったほうが呼びやすいですし、口に出していてなんとなく楽しい言葉ですよね。
ところで、皆さんはこのウェイという言葉の語源を知っていますか?
諸説あるとは思いますが、僕は今から話すとある説を推しています。これは、僕が小学6年生の頃に実際に起きた話です。
8年前、僕は数学が極端に苦手だったため塾に通う小学6年生でした。
母がとってくれていたコースは先生1人に生徒2人の形態で、しっかり見てくれるだけでなく先生との距離が近いため、心を開きやすく質問もしやすいというメリットがありました。
僕の先生は大学生で、教え方も上手く面白かったので個人的にはとても好きな先生でした。
彼の口癖は「ウェイ」でした。
僕が間違えた数式を書いたり、答えを書いたりすると「ウェイウェイウェイ、ちょっとよく見てみ?」と正しい答えを教えてくれました。
それがどうにも不思議で、僕はなぜウェイと言うのか、先生に直接聞きました。先生はさも当然のようにこう答えてくれました。
「え、Waitをネイティブっぽく読むとウェイになるじゃん。待て待て待て、みたいな意味で使ってるよ」
そう、ウェイとはWaitだったのです。
最初はツッコミの単語だったウェイが、訳も分からずとりあえず言う層に伝わり、掛け声や名称に転じていったのではないでしょうか。
日本語とはかように不思議なものですね。
以上が、隠されしウェイの真相です。
一番最初に書いたとおり、諸説あるとは思います。しかし最有力説だと思って貰っていいのではないでしょうか?思い返せばしょーもない説ですね。
ではまた。
HaLuKaの日記が5周年を迎えていました
こんにちは、HaLuKaです。
先日の話です。仕事も終わり、夕食を食べ風呂を済ませた僕は、いつものように普段よくやるゲームを起動しました。
しかしそこそこ長めのアップデートが入り、再度ログインを求められました。ネットあるあるですが、僕はログインをしっぱなしだったためパスワードを忘れてしまいました。
メールアドレスに替えのパスワードを送ってもらった僕は、大急ぎでメールを開きました。大抵の連絡をSNSで済ませている現代っ子なので、久しぶりに受信箱を見たら8500件ほどメールが溜まっていました。
その中に、ひとつ気になるメールを見つけてしまったのです。
忘れてた~
そう、4月5日はこのブログの開設日。しかも今年のは開設5周年の、ディズニーなら記念パレードを行う節目のそれだったのです。
今年の4月5日、思い起こせばブログの開設日のことなど露ほども考えておりませんでした。ゲームで勝って大興奮してなかなか寝付けなく翌日顔がパンパンだっのですが、僕はこの大事な日をその程度の普通の日として消化してしまったのです。
漫画を読んでいると「旦那が結婚記念日をすっかり忘れていてひと悶着ある話」や「彼氏が誕生日や何らかの記念日をすっかり忘れていてひと悶着ある話」が一話はあるものですが、僕はそれを読むたびにそんな馬鹿おらんやろ、と思っていました。こんにちは、そんな馬鹿です。
このメールを見たときに、気管がきゅって縮んだ感じがしたのですが、漫画の彼らも同じような居心地の悪さを感じたのでしょうか。
5年間、です。
僕は中学を、高校を卒業し、社会人となりました。取り巻く環境も友人も変わってきましたが、ずっとずっと続いているのはこのブログだけです。急にまとめに入りましたね。
これまでも、これからも、よろしくお願いします。
ではまた。
初めて土曜出勤をしました
こんにちは、HaLuKaです。
申し訳ありません。気が付いたらかなり更新期間が空いてしまいましたが、その理由を今から説明させてください。
主な原因は二つあります。一つは、フォートナイトというPCゲームにどハマリしていること。もう一つは、僕が土曜出勤をするようになり余裕が無くなったからです。
細かく書くといろいろとバレてしまうので、新入社員のぼくが土曜出勤をするようになったいきさつを極力掻い摘んで書きますと
「部署的に繁忙期に土曜も出なければならず、相応の代休をカレンダーに組み込まれそれを消化済みだから」
となります。僕はもう12月とかに何日も休んでいるので出るしかないのです。ちなみに平日の休みはマジのマジで最高でした。
上記の理由の元、出るしかないのは重々承知の上で、一言だけ言わせてください。
週一の休みじゃ疲れが取れません
そりゃそうなんですよ。僕が土曜にも学校に行っていた世代の人間ならまだ良かったかもしれませんが、僕は19歳、土日とも休むのが当たり前の世代です。ちびまる子ちゃんの半ドンの話にそこまで感情移入できない世代なのです。
なんなら今の時期は春休みで一ヶ月弱の休みをもらっていました。そのほとんどをニコニコ動画に費やしていた僕が、週一の休みでなんとかなるわけがないのです。
僕らの一週間のルーティンは5日働き、1日がっつり休み、1日がっつり遊ぶ、というものだと体に染み付いているのです。それが一日削れるとどうなるか、おわかりでしょう。
6日働き、1日がっつり休み、終了です。遊ぶ暇はそこにはなく、労働のための休暇があるのみです。
何を言いたいか、というと土曜出勤がきついです。
今後数週間の間、週に一回の更新もできないことがあるかもしれません。そうなったら、あいつまた土曜出勤してんな、って思ってもらえたら幸いです。
もしくは、また何かしらのゲームをやってんな、とでも思ってください。
ではまた。
米澤穂信先生の「儚い羊たちの祝宴」がめちゃくちゃ面白かったです
※この記事はあらすじに書かれている以上のネタバレが含まれておりません
こんにちは、HaLuKaです。
僕は小中学生の頃は寝る間も惜しんで本を読むほどの読書好きだったのですが、社会人になり時間がなくなったためか最近はめっきり本を読めていません。
いや、ここで嘘をついても仕方がありませんね。日頃からだらけた生活をしているのでそこを切り詰めれば、時間はいくらでもひねり出せます。
問題は活字に長いこと触れていないため読書体力が落ちていたことなのです。本を読むにはそれ相応の体力が必要なことを最近実感したのです。今の状態で仕事終わりに読書をすることなど、入院明けの人間がいきなりマラソンをするようなもの。
しかしこの日は違いました。仕事中に急に活字が読みたくて仕方がなくなったのです。
ふと思ったのですが、社会人になってからの僕はアイマスの同人誌とアイマスのライブパンフレット、そしてカメラ雑誌くらいしか読んでいません。読書体力はほぼ残っていませんが、短編集なら間違いなく読める。そう確信した僕は仕事終わりに本屋へと向かいました。
よく行っていた本屋に久しぶりに行ったところ潰れていたのでイオンで本を買いました。千葉あるあるですね。イオンは何もかもなぎ倒してしまいます。
さて、買う本ですが久しぶりに読む本で冒険して失敗でもしたら目も当てられません。好きな作家さんの、好きなジャンルの本にしました。
米澤穂信先生の「儚い羊たちの祝宴」です。2008年の本ですね。
僕は短編ミステリの総集編が好きです。数十ページで話が始まって終わるのが快感ですし、冒頭の物語の説明があんまり好きじゃないからです。物語というものがそれありきなのは重々承知の上で、アニメの一話や映画の冒頭の10分くらいもあんまり好きじゃないことが多いです。
この本は短編ミステリが5話入っています。すべての話が全部バラバラというわけではなく、めちゃくちゃに地位の高い人ばかりが集まる読書会「バベルの会」が関わってきます。これは裏表紙のあらすじにも書かれていますね。
それだけを踏まえて、読了した感想ですが、すごいです。いや、なんか、うまく言葉が出てこないのですが、すごいのです。
一編50、60ページの短編小説なのでテンポが非常に良く、ガンガン読んでいくことができます。しかもその短い文章中に大量の伏線を仕込んであるのです。
あれ伏線かな、などと思いながらずんずん読んでいくと、テンポが良く読みやすいためあっという間にあと数ページになってしまいます。その残り数ページで、
めくるめく怒涛の伏線回収にノックアウトされます。
この伏線回収と謎解きが本当に爽快で、うまく表現できない自分の語彙力の無さを恨むほどすっきり納得をすることができるのです。
端的に言いますね。ヤバいです。
久しぶりにミステリ小説が読みたい、でも長いのはまだ読みきれるかどうかわかんないし、読みやすくて面白くてスッキリできるのがいいな、という小説欲望ポーカーならストレートフラッシュのあなたに最高にぴったりの一冊です。
ぜひどうぞ。この記事は面白い本を読んで上がったテンションのみで書きました。ではまた。
- 作者: 米澤穂信
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/06/26
- メディア: 文庫
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