思い出の先生というより講師
今週のお題「思い出の先生」
皆さんは塾へ行ったことがあるでしょうか。僕はとにかく頭が悪く、塾に行っても0.8人前ほどの我ながら至極残念な出来なので塾へ行っていました。両親には感謝の心で胸がいっぱいです。さて、今週のお題が「思い出の先生」だったのですが思い起こすとそこまでいろいろしてくれたり面白かった先生がいない(もしくは忘れている)ので思い出の塾講師について書いていきたいと思います。
小学校低学年あたりから僕の低脳っぷりが明らかになり、母親も僕も弟も僕の数学のテストの点数を見て真っ青になったのでとある塾へ行きました。そこの講師さんもとてもしっかり教えてくれて、それでいて面白く大満足だったのですが講師が変わってしまったのと、かなり値段が高いのと、そろそろ勉強できてきたし大丈夫なんじゃないか?と思ってきたので塾をやめました。
当然根が馬鹿なので大丈夫な訳もなく、中学生活を初っ端からつまづいたので当時の友人の誘いで別の塾に入塾しました。大体中学二年生辺りのことでしたかね。個別形式の塾で、そこでは数学と英語を学んでいましたが今回僕が書いていく塾講師は数学の方の講師さんです。英語の講師が嫌いというわけでは決してないのです。英語の先生もいろいろ頑張ってくれたし僕もある程度好んではいたのですが数学の講師の方が仲が良かったのです。
当時から軽いキモオタだった僕は、大学生時代に大学の休み時間に秋葉原へ行っていた講師さんと話が合いとても仲良くなりました。いい感じにフレンドリーでそれでいて教え方はピカイチな塾講師に僕は生まれて初めて出会うことができたのです。
人見知りな上にあまり人を褒めない僕がここまで言うということは他の人にもかなり人気です。普通の講師さんなら大体1人9人くらいを担当していたのですがその講師さんは30人くらい担当していると言っていました。もはやバケモンですね。1月くらい休みがないのはザラだそうです。
が、講師さんも人間です。そんな生活を数年ほど続けていたところ体力が持たなくなったのでしょうか、2月の授業中にとある話を切り出してきました。
講師「悪いんだけど、俺4月からHaLuKaのこと担当できなくなるかもしれない」
最初にそれを聞いたときは冗談だろうと思っていたのですが話のトーン的に本当っぽかったので承諾しました。最後まで嘘であることを少しだけ期待していたのですが4月になると本当に僕の担当講師は変わっていました。
その講師さんとは講師さんが退塾したわけでもないので塾で会うことができ、たまに近況報告などをすることができるのでそこまで変わんねえなあとか思っていたのですが新しい講師さんがどうも合わないんですよ。
新しい講師さん、真面目なんです。いや、真面目というより意識が高いのかもしれません。少なくとも今まで僕があったことのないタイプの人間でした。僕の世界狭すぎるでしょ。教え方はうまいので最初の3ヶ月くらいは大丈夫だったのですが行きたくない塾に行くのもお金の無駄だし本格的に「やめたい」という思いが強くなったので塾をやめました。
これが僕の思い出の講師の話です。ちなみに、LINEで繋がっているので会おうと思えば会うことはできます。ではまた。